紆余曲折あって主演 仲代達矢となったが・・「抜け感」の難しさ
1967年東宝 監督 岡本喜八
「13人の殺し屋と男の戦いを荒唐無稽なコメディ・タッチで描いた快作。アクション、コメディ、お色気と、娯楽映画の要素を詰め込んだ喜八映画の真髄。」(東宝HP)
本作、元々は日活で岡本監督、宍戸錠主演の企画だったようだ。それが頓挫して監督のお膝元東宝に流れ、主演仲代達矢で仕切り直し。完成するもしばらく上映されず、半ばお蔵入り状態でようやく公開されたとのこと。制作するにはしたが、元日活企画の抵抗感からか、営業サイドが興行のセールスになかなか重い腰を上げなかったとか。(以上「『殺人狂時代』はなぜ上映されないのか」中原弓彦=現 小林信彦 『映画評論』23-12)確かに「荒唐無稽」ってのも興行側の悪意を感じないわけではない。未だに尾を引きずっている?
その仲代達矢。ネタバレするので詳しくは言えないが、冴えない大学講師とニヒル殺し屋の演じ分けは、この人の技量を見る。ただ殺し屋の方でのあの独特な「虚無のポージングと息を鼻から吐き出すような台詞回し」は個人的にはまさに鼻につくので、ど近眼で水虫持ち(!)の大学講師の造形の方に賞賛を贈る。
行きずりの恋人となる団令子は当時の「加賀まりこ」風コケティッシュな可哀らしさ(の方が語感的にしっくりくる)を振りまくが、コメディなのに何となく振り切れて乗れていない感じ。撮影は結婚の年(1966)か? 公開のこの年には長男を出産している。仕事モードがちょっと切れたのか、何か事情があったのか。
岡本作品の常連、砂塚秀夫は本作でも狂言回し的な仲代の子分役で、いつも周りに通り振り回されていて、観ているだけで楽しい。こうした役柄がしっくりくる砂塚秀夫のポテンシャルを岡本監督は引き出している。
天本英世は怪優の面目躍如。現実的にはあり得ないデモニッシュな設定の役だが、この人ならやりかねない、をしっかり演じ切れるのは、所与の容貌(意外に長身。悪魔の立ち姿!)と役者としての表現力の賜物。また、天本の経営する精神病院内部の白を基調としたポンペイの人型のようなレリーフは不気味で、天本の異常性を際立たせるにおおいに貢献。(装置:阿久根 巌)
スピーディな展開でテンポよく、エルビス・プレスリーのカバー曲をBGMに使用するなど、バタ臭い仕上がり。ラスト近くの戦闘シーンは、あれよあれよの展開で岡本喜八ここにあり、の感。また仲代達矢と団令子の車内での駆け引き、はこれでもかこれでもかの応酬がお見事。
先の中原弓彦(=現 小林信彦)の言によれば、この当時は「芸術派だし」の大島渚、篠田正浩は映画評論界隈ではチヤホヤされていたようだが、エンターテイメントに徹した岡本喜八にとっては不遇の時期だったという。(同年代の同じくエンタメ系石井輝男監督は『網走番外地』シリーズで東映の興行面での屋台骨を支えていた時期。)とは言え(理不尽な「不遇の時代」の岡本監督に肩入れしたいのは山々だが)代表作のひとつ『独立愚連隊』に比べると、エネルギーに欠け抜け感が足りないのも事実。たらればはないのであるが、もしも宍戸錠主演で成立していたならば、もっと奇想天外な禁断を観てしまった感を抱くであろうことを夢想する。上記以外の脇役が少々弱いのも勿体無い。
(星3.7)

