黄昏の清水宏、昭和戦後の銀座 俗物大図鑑
1953年東宝 監督・脚本 清水宏
「東宝に招かれた清水宏が銀座の街を舞台に、迷子になった少女(熱海幸子)やその母親を探す人々を点描する。少女の面倒をみるサンドイッチマンを演じた池部良の人の好さも魅力的だが、東宝の日本劇場をはじめ銀座から有楽町にかけての街や建物が、清水の得意とする移動撮影やロングショットで捉えられ目を楽しませる。」(国立映画アーカイブHP)
都会的な作品があまりない清水宏監督にとって珍しい大都市、それも銀座が舞台の映画。終戦から8年、かなり復興を遂げてきた当時の銀座の街並みがしっかり記録されている。とは言えはっきり判別できたのは、有楽町の日劇と改築前の松屋銀座、現和光の服部時計店くらいだ。甘味の「若松」は閉店してしまったし。それほど銀座は変わってしまったのか。現在の和光と銀座三越の交差点が「尾張町」と呼ばれていた時代。
まずはキャスティング。子供を主人公・メインキャストにした映画を数多く手がけてきた清水監督の面目躍如。迷子の女の子のおっとりしている割にしっかり大人の観察をしているしているませた都会の子の造形は素晴らしい。ならばこんなことしそうだ、ということをするのでリアル。そんな子であればラストの母との再会シーンはかなり衝撃のはずだが、この子は疲れ果てて眠っていてわからない、大人の配慮、温かい。
大人の登場人物。セルフパロディ「三等重役」役の中年に差し掛かったくらいのまだ若い森繁久彌や、シケモク拾いの易者 伴淳三郎、男漁りに明け暮れる女給かず子の丹下キヨ子、山手の有閑マダム清川玉枝、隣のケチな奥さん 沢村貞子などなど銀座に集う人たちは、さしずめ俗物大図鑑の形相。けれどもあくまで「図鑑」であって表層は描かれるが、殊更深く掘り下げることはない。(清水監督の「性」と言われればそれまで。)それにしても眼差しは冷淡だ。監督の関心は、東京という街に都会に住まう人にはないようだ。未だ戦後を背負っている都会の住民だがちょっとはみ出しているスタイリッシュなサンドイッチマン池部良と可愛らしい靴磨き有馬稲子(宮城まり子の「ガード下の靴みがき」のイメージ)にさらっと自らの想いを代弁させている。またその都会でもがき苦しむ少女の母親(木暮実千代)にはその心情を滔々と吐き出させ、情の厚い東北訛りの刑事(大山健二)が親身にその話を聞くシーンはじっくり描写する。
この監督、興味のないことには徹底して冷やか。日劇のレビューの場面では終始「引き」で演者をクローズアップすることが全くないから、誰が歌っているのか皆目見当がつかない。(オープニングのクレジットで「あたり」をつけるしかない。)東宝サイドからの要請に対する静かなる抵抗。観劇中の客席で話が進むからそちらをフォーカスしたまでだ、と反論しそうだ。
BGMはマンボに始まり、マンボに終わる。当時の日本におけるリズムの潮流はマンボ全盛。虚飾にまみれた都会の大人たちと、少女の母親の辛いエピソードの明と暗。だけどラストはとりあえず明るく終わろう。軽快でちょっと能天気で楽しげなマンボがハマる。この頃から日本は高度経済成長への道を邁進する。一方名匠 清水宏は徐々に日本映画史の暗渠に埋もれてゆく。(星3.2)

