原田美枝子、原田美枝子、原田美枝子!
1998年東宝 監督 平山秀幸
「夫を早くに亡くし、娘の深草と2人で暮らす照恵。彼女は幼い頃に死に別れた父親の遺骨を探していた。そんなある日、父親違いの弟・武則が詐欺で捕まったとの知らせが届く。久々に武則と再会した照恵の脳裏に蘇ってきたのは、母から受けた虐待の記憶だった。」(U-NEXT HP)
大人になった照恵と 気性の荒い母豊子の2役を原田美枝子が見事に演じ分ける。それも豊子役は晩年の老齢期まで演じ切った。本作公開時は昭和の巨匠映画監督がまだ存命の時代、そうした大御所監督から引っ張りだこでテレビを付ければドラマで観ない時はないくらい引くて数多の充実期の原田美枝子、まさに迫真の演技。
ストーリーは照恵の現在と子ども時代を行きつ戻りつしながら進む。照恵に対する母豊子の身体的虐待は壮絶で、それがリアルに繰り返し描かれるので、観客としても目を覆いたくなり食傷気味になるのは確か。しかし豊子、時として穏やかな表情を見せる。例えば照恵に自分の髪を梳いてもらうシーン、「お前は髪を梳くのがうまいねえ」と優しい笑顔になる。この「揺らぎ」は何なのか?
こうした豊子の照恵に対する虐待、苛立ちの原因となった出来事を後半部分で観客は知ることとなる。とは言えそれで豊子の行為を100%肯定はできないけれども、豊子の心の中を観客は垣間見てしまい、気の置き所のない、やるせない気持ちになる。自分が豊子だったらどうしたであろう、常に優しい母親を演じ続けられるのか、と。豊子の苦悩は自分で抗うことができない宿命であろうか。そうした豊子の感情の「揺らぎ」を共有しながら、観客は心理的な共犯者となって話が進むのである。身につまされるのはそのためだ。恐らくその事象を知っているはずの最後の証言者たるべき父の親友(若き日の小日向文世)もそれとなくかわして語らず、照恵は「真実」を最後まで知らずに終わる。虐待を受けながらも娘の照恵は照恵で子どもの頃から母への愛情を捨てきれず、また大人になってもその気持ちは変わらずにいるので、なおさら切ない。親子とは、という根源的テーマを我々の胸元に突きつける。豊子にとっての「恩人」であり最愛の人が照恵の父(中井貴一)であるのでなおさら。
照恵の子ども時代を演じた3人は芝居とは言えよく耐えた。弟役の子役たちも好演。明るい母想いの娘(野波麻帆)、照恵の心の支えとなった気の弱い3人目の父和知(壮年時代の國村隼)や照恵の父の親友夫妻(小日向文世と熊谷真実)らが芝居のアンサンブルをより膨よかなものにさせた。
豊子の職業は恐らく酌婦と思われるが、終戦直後から昭和30年代後半の時間経過で引越しはするものの生活スタイルがあまり変化しない(1956年売春防止法成立の前と後)、そうした仕事を続けながら大金を貢ぐ男の影もないのに何故か常に「極」がつくほど貧困、と時代考証、背景の説明が不足な点も無くはない。
しかしながら、風景や感情に寄り添う音楽(千住明)も見事で、このタイミングで原田美枝子という最高/最適の役者を擁し、その上で×平山秀幸監督+脚本(鄭義信)、全ての演者・スタッフの力がなかりせば成し遂げられなかった大事業が貫徹されたことは、未だに色褪せないこの作品が示している。(星4.0)

