『女の中にいる他人』

日本映画
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「茶碗の中の嵐」でなく「生か死かの断崖に立った」夫婦をいかに描くか
成瀬巳喜男60代の挑戦

 1966年東宝 監督 成瀬巳喜男
 「エドワード・アタイヤのミステリー小説を成瀬巳喜男監督が映画化。小林桂樹演じる夫に殺人を告白された妻を新珠三千代が演じる。」「夫の裏切りを許した妻がある決断を下す。」「友人である杉本(三橋達也)の妻・さゆり(若林映子)と不倫関係にあった田代(小林)は、誤ってさゆりを殺してしまう。その後、夫から全てを打ち明けられた妻の雅子(新珠)は驚がくするも、夫の裏切りを許してしまう。自首を決意する夫に対し、家族のことを心配した妻はあることを決断する。」(U-NEXT HP) 
 イギリスの作家エドワード・アタイヤの小説『細い線』の翻案。60代となった成瀬巳喜男2年ぶりの映画作品。また、成瀬にとって珍しい海外小説が原作の映画化で、かつ殺人事件を扱うサスペンス。「私の過去の一連の作品系列とは異質のようだが、夫婦間の心理のアヤが中心となる点では同じであろう。しかし、今までの茶碗の中の嵐的なものではなく生か死かの断崖に立った夫婦の問題である。」と、撮影監督の福沢康道に語った言葉に並々ならぬ意気込みを感じる。ただし、構造としては前半は夫を中心とした、後半は妻を中心とした成瀬お得意の家庭劇の形相である。
 まず印象に残るのは、明と暗、差し込む光と影のコントラストによる、連綿と続く緊張感ある映像。夫が告白に逡巡する前半は梅雨の時期、じとじとと降る雨、突然の停電による闇。妻の心の変遷を描く後半は真夏。ジリジリした暑さ、川沿いの温泉場の岩肌剥き出しのトンネルの中での夏でもひんやり冷たく不気味な空間での夫の告白による楽しい夫婦旅行の暗転・・成瀬監督は撮影に入る前にすでにコンテができているというが、こうした各シーンの収まりのよさは恐ろしいほど。
 またこうした記憶に残るシーンを生み出せたのは、1本立ちして数本で撮影監督に大抜擢された福沢康道の貢献も大きいと考える。成瀬調を踏襲しつつ、個性を発揮した。福沢によると、カラーは当初より予算的に難しく(東宝は「若大将シリーズ」「無責任男シリーズ」「駅前シリーズ」などはすでにカラー化されている時期。巨匠とは言え興行面での相対的評価の結果ということか?)監督は「一色カラー」!を当初イメージし検討を重ねたが技術的に難しいと判断され、オーソドックスな黒白で行くことになった、という。ただ通常通りの撮り方では面白みに欠ける、進取の気性に富む福沢、事件の回想シーンは「レリーフ」(特殊効果)を採用し、「ネガを5/100ずらし、濃度をネガ6:ポジ4の割合」にすることにしたという。かすれた印象の画面に仕上がり、激しい衝動に突き動かされる夫の心情が如実に伝わる。またこの特殊効果は、ラストシーンの不思議なストップモーションでも採用されるが、「ただ、結末は一つの例であって、あなたならどうするという問題提起の型にもなる」という成瀬の制作意図も反映したものとなった。成瀬は妻の最後の決断に寄り添っても見放してもいない。リアルな現実を示す映像でなく、回想シーンと同様のレリーフで終わるのはその証左と言える。
(「 」内引用は『映画撮影』(1966-1))
 小林桂樹と三橋達也の役は逆では?と一瞬思ったが、苦悩し逡巡する小林桂樹と最終的に捌けた対応をする三橋達也はそれぞれ適任であった。新珠三千代は耐える良妻賢母だが、うちに秘めたる「他人」を腹芸で演じ切る。若林映子の役は当初草笛光子の予定だったそうだが、本人が断り別の役になったと当時の雑誌の記載があるが真偽不明。確かに「特殊な性癖の持ち主」なので結構チャレンジングな役ではある。硬質な若林映子がしっくりくるので結果オーライか。
 最初から最後まで重い空気に支配される中、幼い兄妹が休みの日に父親に連れていってほしいところを言い合う「ドライブ」「ドリームランド」(開園したての横浜にあった遊園地)といったシーンは一服の清涼剤。子ども好き成瀬の面目躍如。
 演技巧者の俳優陣と綿密にプランニングされた本編を完成に導いた成瀬巳喜男以下制作陣のチームワークによる上質のサスペンス。
(星4.0)

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