『青空娘』

映画 青空娘 日本映画
画像はイメージ

増村保造のミューズ、若尾文子との邂逅

 1957年大映 監督 増村保造
「祖母の死により、親のもとに引き取られることになった有子。そこで待ち受けていたのは彼女を憎む継母の容赦の無い虐待の数々だった!それにも負けず『いつも青空のように明るく』をモットーに、強く明るく生きる有子の姿を描く青春映画。増村保造監督第2作にして、若尾文子と初めて組んだ作品。増村のモダンでスピーディーな演出と、爽やかで瑞々しい若尾の演技が一際光る傑作。」(TSUTAYA DISCAS)
 東京大学を卒業後、大映に入社、市川崑、溝口健二監督作品に助監督として師事、国費留学生としてイタリアのイタリア国立映画実験センターに入学し、時系列的に各国の映画を見まくり、世界の映画史を俯瞰し研究に没頭、イタリアン・リアリズムの洗礼を受け帰国。
「人間の本質は個人ではなく人間関係であり、その「関係」の集積が人間」(和辻哲郎)という日本的な人間観に違和感を持っていた増村は、自立した「個人」が跋扈するイタリアでの生活を体験したのち、「夫婦、家族、会社、社会、国家という『関係』の中で、折り合い、妥協し合い、ゆずり合う人間ではなく、その『関係』とたたかい、抵抗し自分を主張する人間を持ち上げて見よう。先ず『個人』を、強烈な本能と、がっちりした論理を持つ人間を描こう」(『映画監督増村保造の世界』)と決意、第1作監督作『くちづけ』はそうした渇望を体現する作品となった。
 そして監督第2作目の本作、「退社した別監督の作品が回ってきたもの」で「ご都合主義の原作」(源氏鶏太)「半投げの脚本」(のちの名コンビ、白坂依志夫)のため、「たったひとつ面白いと思った若い主人公のボーイッシュで野生的な性格にピントを合わせ」て「レベルを下げて面白おかしく」撮らざるを得ず、出来にも不満があったようだが、会社の(特に社長)の評判は上々だったという。(『映画監督増村保造の世界』)かえってそうした肩肘張らない力みのない取り組みの姿勢が本作の魅力に繋がったのではないかと。
 主人公有子を演じた若尾文子(白いブラウス、赤いフレアスカートのコントラストが眩しい)は、増村が理想とした人間像「生々しい人間のリアルを自然に演じられる、真の演技者」としての実力を遺憾無く発揮。また生来の下町育ちの捌けたアケぬけた娘姿が、イジメや逆境にもカラッと対処する前向きな意思の強さ(特にラストの「啖呵」が集大成)を裏暗さなく演じ切っているのは見事。なので上京を決め恩師(菅原謙二)に問いかける「青空はあるかしら」、恩師は答える「どこにだってある、見ないだけさ」というともするとセンチメンタル過剰な歯の浮くようなセリフやシーンもリアルに感じられるのである。まさにそれまでの日本映画にありがちな日本的な情緒(往々にして負の感情)を排した、新しいテイストの作品と言えようか。
 セリフを早く喋るのは監督・作品に限らず「この時代の流行り」との若尾文子の証言もあるが(確かに)、本作に関しては、横と縦に演者を出したり引っ込めたりの不思議なショットの連続や、短いカット割りによる、テンポの端切れの良さも印象深い。
 恋に不器用な恩師(菅原謙二)は適役、棚ぼたの2代目(川崎敬三)の軽妙さ、イヤミな姉(穂高のり子)、エキセントリックな継母(沢村貞子)と打てども響かぬ父(信欣三)などキャストは皆ハマり役。有子の東京での唯一の味方女中のミヤコ蝶々と南都雄二(蝶々雄二)の丁々発止、「了解」が口癖のこれまた捌けたマダム(清川玉枝)の佇まい、とキャストが皆まさに生身の人間として「生きている」。増村保造の世界を生きている。
(星4.0)

タイトルとURLをコピーしました