小沢昭一、長門裕之、由利徹のキャスティングでいっちょ上がり?
細かいこと気にせず、心から楽しむ。それも旧作映画の嗜みだ
1961年日活 監督 春原政久
「世にも不思議な不老長寿の街を舞台に、長門裕之、小沢昭一の二人が名演(?)をくりひろげる爆笑喜劇。」(日活HP)らしい。
端的に言って本作は3人の役者、小沢昭一、長門裕之、由利徹の演技を堪能する映画だ。サブスク隆盛の令和ならではの贅沢な嗜み。筋書きなんてどーでもいい。
まずは、小沢昭一。映画の筆頭に名前が来る主役は珍しいのではないか。私の好きな役者のひとりだが、本作のような気が弱くて、何らかのきっかけで一念発起するも空回り、の役は見事にハマる。銀座出身の江戸っ子ならではの肩肘はらないその抜け感が心地よいのかもしれない。少々理屈が前に出ることもあるが、そこはご愛嬌。(我が身を振り返っていようで身につまされる。)演技巧者長門裕之の向こうを張って力演だ。
続いてその長門裕之。硬軟緩急、張り手に受け身、悲劇・喜劇なんでもござれ。本作はちょっとズレてる殺し屋。受け身の演技のバランスが絶妙な人だが、本作ではちゃんと「いなして」くれる相手役なのでがあまり細かく気にせず、張りまくりの感。たださすがその「張り方」も至極自然に制御するのはさすが天性の役者。
そして由利徹。本作を観れば、後年「おしゃ、まんべ」や「花街の母」で“いじられる”レベルのコメディアンではないことが一目でわかる。ボードビリアンとしての基礎、体技の備わった、かつそれを「笑い」に昇華させる術をもった喜劇人であることを痛感。浅草ではなく“垢抜けた”新宿の「ムーラン・ルージュ」出身であることを生前誇らしげに語っていたが、そうした芸人としての矜持を見せつけられる。死んだと思ったら生きていた、という雛形が無いからやりたい放題できる「おいしい役」を嬉々として演じている。ただ、筋書きは落語の「らくだ」のいただきで、映画ではすでにエノケンが『らくだの馬さん』(1950)で演っているが。
戦前から活動を始めた春原政久監督が3人をアンサンブルとして機能させ職人技で見事仕上げていっちょ上がり。終盤の畳み掛けはお見事、よっ春原! プログラムピクチャー侮るなかれ。
(星3.0。心の中では5.0)

